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タイトル 泉州堺湊新地繁栄之図 [多色刷り]
内容 泉州堺湊新地繁栄之図
抑当津ハ摂河泉三州の湊口に
して古来繁栄の土地なる事世人
のしる所也然るに星霜うつりて
港口に土砂嵩諸国の商船出入
のたよりあしからんやと 公の
御仁恵により去ル天保五年正月
新に 命令 あらせられ港口を
さらへ波戸を築き歳月ならずして
次第に御修造あらせられ新地
面拝借 仰付らるゝにより
商売軒をならべ交易往返
自在ならしめ玉ふされバ入舟ハ
旭橋に向ふ其繁栄さらに
昔年に百倍する事衆人
こぞつて勇橋とやいはん
土地ハおひて栄橋とや
いはんかく輻輳なる
今来古往ためしなき
御 仁恵なりかし実に
是尭風蕩〻舜日
熙〻仰ぎても尚
あまりある御恩沢
を尊ふべきもの也

乍憚御披露申上候    私儀
御宿被仰付相始候より御贔屓ニ預り御取法を以
日増ニ繁栄仕難有渡世仕候処近年大坂ゟ
私方迄くるや宿引体之者いろ〳〵と
申錺り外宿へ差図仕候者御座候由御ひいき
御客様ゟ御しらせ被下候右体之者外
宿差図仕候とも御取敢不被下何卒
私方へ御光来被下度偏奉願上候
但し妙国寺そてつ浜辺はと魚市場すべて
  何方へも御見物ニハ都合よろしき場所ニ御時間
  御往来之節ハ御止宿之程亦御願申上候
御目印と御宿 堺湯屋町大道大小路角
        小間物屋徳兵衛
カナ センシュウ サカイ ノ ミナト シンチ ハンエイ ノ ズ
説明  堺の港は、1704 年(宝永元年)の大和川のつけかえによって、大量の土砂が運ばれてくるようになり、だんだん浅くなっていきました。そのため、しばしば砂持(砂運び)が行われ、港が修築されました。また、川口にできた洲をひらいて新田がつくられました。
 1834 年(天保5 年)には旭川が開削され、新地への橋である栄橋・勇橋などが架設されました。この図は、修築が成ったころの堺港の繁栄のようすを詳細にあらわしています。湯屋町大道大小路角の旅館の広告が左下に載せられています。
発行 小間物屋徳兵衛
大きさ 35×48cm
ページ数 1枚
出版年 [1836?]
管理ID S0010917
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